2019.04.02

佐賀関

写真は大分県大分市佐賀関の「ヒシャゴ浦姉妹岩」の朝日。この界隈の海は、豊後水道と呼ばれ、海流が交差する場所に位置するため、この地方でとられた魚は身がしまっていて美味しい。その豊後水道の中でも、佐賀関で取られたアジやサバは、「関サバ」「関アジ」と呼ばれる最高級品として首都圏に送られる。この港の漁師達が一本釣りに拘り、魚にストレスや傷を与えず確保。最高の状態で東京の市場に送られ、高級料亭やお寿司屋で頂く事が出来る。写真の「ヒシャゴ浦姉妹岩」はには、2000年以上昔の神話がある。

 

<ヒシャゴ浦 姉妹岩の伝説 >
この岩には、イザナギノミコトの剣にまつわる伝説があります。

2500年程前、神武天皇が豊後水道を航行していた時のお話です。船が急に進まなくなり、天皇が自ら海底をのぞき込んでみると、そこには巨大な蛸がおりました。よく見ると、その蛸は昔々イザナギノミコトが海に落としたといわれる「御神剣」を抱きしめ、大切そうにお守りしておりました。驚いた天皇は海女の黒砂(いさご)と真砂(まさご)の姉妹を呼び、「御神剣」を蛸から受け取るように命じました。はじめに姉の黒砂が潜り、澄んだ海を深く深く潜っていきましたが、ヒシャゴ浦の沖合は潮の流れが速く思うように進みません。それでも黒砂は一層深く潜っていき、大蛸から「御神剣」を受け取ることが出来ました。しかし潮の流れは容赦なく黒砂の体力を奪っていきます。ついには息が続かず、黒砂は天皇の船に戻れずに命を絶ってしまいました。それを見ていた真砂はすぐに海に飛び込み、流されていく姉の腕にしっかりと抱かれた「御神剣」を受け取り潮の流れに逆らいながら天皇の手に「御神剣」をお渡ししました。しかし、使命を全うし精魂尽き果てた真砂は、安心したように息を引き取りました。

その夜、天皇は夢をみられました。

黒砂と真砂の姉妹が現れ「ここを航行する船は私たちがお護り致します」と天皇に告げました。翌朝は激しい豪雨でした。天空に稲妻がいくつもの筋を走らせ、黒雲の海原を照らしていました。そして、一層大きな稲妻がヒシャゴ浦の大岩に走り、あたりに爆音が轟いたとき、その雷で大岩は二つに別れ、姉妹岩と化したのでした。今でもこの地方では、この姉妹岩が地域の漁師達やここを航行する船を護っていると伝えられています。

また、二人の姉妹が命がけで神武天皇にお渡しした「御神剣」は、「早吸日女神社」のご神体となっております。

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