世界遺産でもある下鴨神社(しもがもじんじゃ)は、日本の古都・京都市左京区にあります。東西に位置する2つの本殿はともに国宝に指定されています。崇神天皇の七年(BC90)に神社の周りの垣根の修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたようです。神社の境内に広がる糺の森(ただすのもり)周辺の発掘調査で縄文時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘されています。この糺の森の中に、「さわた社」という、ラグビーに深い縁のある「お社(やしろ)」があり、現在では、多くのラグビー関係者や選手が訪れる場所となっています。さわた社は、雑太社、澤田社とも書き、球技上達の神様として人々の信仰の対象になっていました。老朽化で取り壊されていましたが、2017年に再興されました。さわた社の横には、「第一蹴の地」と書かれた石碑があります。その石碑には、西日本で初めて日本人がラグビーをしたことが記されています。1910年、日本ラグビーのルーツ校である東京の慶應義塾大学の学生が、京都の第三高等学校の学生にラグビーを伝えたというものです。第三高等学校とは、当時の高等教育機関で、日本に八校しなかったナンバースクールの一つです。当時の日本のエリートが通った学校でした。この三高(さんこう)にラグビー部が創部されたことで、西日本にラグビーが広まりました。そして、京都、大阪の中学、高校の卒業生が、東京大学、早稲田大学はじめ、東日本の名門校で次々にラグビー部を創部し、日本全国にラグビーが広がったのです。この事実を後世に残すため、1969年、三高のOBによって作られたのが「第一蹴の地」の石碑です。さわた社は、2017年5月、ラグビーワールドカップ(RWC)2019のプール分け抽選会が行われる時期に合わせて再建されました。京都迎賓館で行われた抽選会の朝には、RWC2019の参加が決まっているチームのヘッドコーチ(アイルランドのジョー・シュミット Joe Shmidt)らが参加し、下鴨神社に伝わる蹴鞠体験などを楽しみました。その後は、RWCの優勝カップである「ウェブ・エリス・カップ」もここに来ています。この場所は、日本のラグビー関係者、ファンにとって、古くて新しいラグビーの聖地なのです。坂田好弘さん(76歳)は、元日本代表のウイング(Wing)で、日本人でもっとも世界で名の知られたラグビープレーヤーです。彼は1969年、ひとりでニュージーランドにわたって、カンタベリー大学クラブに所属し、トライゲッターとして活躍。ニュージーランドのカンタベリー州代表に選ばれました。この当時のカンタベリー州代表は、同国代表オールブラックスの選手がたくさん在籍していました。日本でラグビーが行われていることは世界ではあまり知られていなかった時代の快挙は、ニュージーランドの人々を驚かせました。
その活躍が認められ、2012年にはワールドラグビーの殿堂入りを果たしています。世界で51人目、日本人初の快挙でした。現在、日本ラグビーフットボール協会副会長、関西ラグビーフットボール協会会長を務めています。坂田さんは京都市在住で、下鴨神社は自宅から近く、ラグビー神社(さわた社)の再興に尽力しました。写真は、そのいきさつをラグビージャーナリストの村上晃一さんに説明しているところです。坂田さんは、2019年、日本で初めて開催されるラグビーワールドカップの際に何かレガシーが残せないかと考えていました。さわた社の再興は、そのレガシーの一つなのです。坂田さんは、2017年のラグビーワールドカップ2019プール分け抽選会で、抽選役の一人となり、抽選会のために京都を訪れていた各国ヘッドコーチを下鴨神社に招き、この神社に伝わる蹴鞠(けまり)を体験するイベントを企画しました。当日は、数百人の関係者、ギャラリー、メディアが集い、盛大なイベントとなりました。このイベントは、日本全国にさわた社の存在を知らせ、いまでは全国のラグビーファミリーがお参りに訪れるようになりました。願いごとを書いて神社に奉納する「絵馬」もラグビーボール型になっていて、全国のラグビー選手が「全国大会に出られますように」、「ラグビーが上手くなりますように」など、願い事を書いています。
村上晃一
ラグビージャーナリスト
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂(おうき)高校から大阪体育大学でラグビーのポジションは、センター、フルバック。87年ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務し、90~97年同誌編集長。98年からラグビージャーナリストとして、スポーツ専門局JSPORTSでラグビー解説を継続中。1999年から2015年の5回のラグビーワールドカップで現地コメンテーターを務めた。シンポジウム、トークイベントなどの進行役を多数務め、ラグビーに関する多数の著書がある。